「広告の成立と3つの制度」広告賞・広告報道・広告の娯楽化

用語解説
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広告の影響が、いかに社会制度として取り組まれたか。

難波功士氏による「広告のクロノロジー」(2010年 世界思想社)から3つのポイントを抜粋してみていきます。

広告への褒章制度

今に知られる広告賞の設立は、さして大昔という訳ではありません。

・ ADC賞 1957 年 東京アートディレクターズクラブ
・ ACC賞 1961 年 全日本シーエム放送連盟
・ TCC賞 1962 年 東京コピーライターズクラブ
(難波 2010、p.80)

こうした賞の前に、
1951 年に二科会 による『商業美術部門』が設置。
1951 年には日本宣伝美術会の設立、 1953 年から『日宣美賞』が開始される。

「五〇年代から六〇年代にかけて、広告制作の世界をリードし、何がいい広告(ないしグラフィック・デザイン)なのかを決める最高の権威として君臨した」
(難波 2010、p.97)

広告制作者の登竜門、あるいは目指す頂点として仕組みができあがり、良い広告というものが何かが構想されていくことになります。

広告ジャーナリスト

そうした専門的な世界をニュースとして扱う流れが1950年から出来上がります。

戦前『広告界』を率いた宮山峻によって五三年に創刊された『アイデア』
(難波 2010、p.98)
広告ビジネスやマーケティング記事の多い『宣伝会議』(同、p.98)
「広告とマーケティング」を標榜した『ブレーン』(同、p.79)

広告会社が小冊子として、広告に関する情報を発信することは現代もあります。

送り手でもなく、受け手でもない、中間のメディアとして広告を論じていく立場です。

広告の娯楽化

こうした、真面目に語られる広告に対し、広告が娯楽の1つとして扱われ始める。

「七〇年代は広告が広く大衆的な娯楽の一つとして受容され始めた時期であった」
(難波 2010、p.193)

テレビ番組でCM特集が組まれ、
1979年創刊された『広告批判』は、テレビと共に育った大衆文化というものを広告で切っていきます。

広告は、大衆文化のなかのすぐれて前衛的な表現
(天野祐吉、1979、『広告批判』、巻頭)

 

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広告するときの裏技