方法が指定されたときどうするか考える

広告実務の12ステップ
スポンサーリンク

方法が指定されてきたとき、冷静に一呼吸置いて、どうするか考えよう。

なぜ方法の指定されるか?
この原因を知ることで、対応を変えることができます。

(1) 経験による代替説明

方法が指定されるとき、その原因の多くは「広告目標の設定が難しい」にあることに起因しています。
この原因は「主観/客観の切り分けが難しく、論理的あるいは理論を用いた説明が難しい」ことにあります。

日常、さんざ広告に曝されています。
プライベートで油断しているときにも、ばんばん広告に接触します。
そうした日常で遭遇した広告に対し審美に関する反応を、論理的に説明したり理論を用いて説明する訓練をしていません。

日常生活で何かの広告に接触したとき、本人に何かの広告効果が発生した。
広告する側からすれば、本来効果を作動させる目標があるのですが、受け手からすると効果のみが実感される。
そのため「目標」は分からず、本人の効果の経験によって具体方法が説明として代替されます。

(2) パラダイム

広告なんて訳のわからないもの。その判断は、血液型性格診断並みの胡散臭さに満ちたパラダイムを使わなければ対応できない。
自分もまたそのパラダイムを抱えており、パラダイムは、2つの角度から実務者に襲い掛かってきます。
A:理論的角度
広告はこうするもんだ。という先入観。
自身の経験に準拠する理論がある。
B:審美的角度
美しさや正しさという点で、こうあるべきだという先入観。
こうしたパラダイムは、その人の人格を形成する1つになっているため、いかに正論であっても真正面から批判すると全力で抵抗してきます。