DAGMARの意義
広告そのものに一定の方向性を与えたという点で、20世紀広告界の金字塔です。
べつに「目標決めたら測定できるぜ」なんてことよりも、
広告効果として売上を切り離し、広告目標の定義が広告実務者・管理者の仕事として重要と定めたことに意義があります。
DAGMARで定義される広告目標
1961年のColley版DAGMARでは、AIDMAではなくAIDAベースで、Unawarenessから始まるACCAのプロセスが記されています。
1.Awareness (認知)
2.Comprehension (理解)
3.Conviction (確信)
4.Action (行動)
1950年から1960年当時、広告による心理反応をこのように見ていくというパラダイムが一般的ではなかったのでしょう。しかし、我らがAIDMAの提唱は1920年。空白の30年は、世界大戦の混乱があり、それを経て、再び提起されたのかもしれませんね。
2019年からみて、既に「コミュニケーションスペクトラム」というパラダイムを私たちは持っているので、AIDMAでもAISASでもどっちでもいいです。
DAGMARの背景
広告効果として売上があがったのか説明せよ。
この、経済行動に対する永遠の問いかけに真っ向対峙したのがDAGMARです。
広告効果として売上を示す科学的アプローチはずっと検討されています。しかし、DAGMAR以降ぷっつりとその流れが途絶えます。正確には、本流ではなくなります。
DAGMARの結論
DAGMARが導いた結論として、広告効果から売上を切り離す、ということです。
その代わりに、心理的・身体的反応に限定して広告目標を定め広告効果を問いていくことになります。
Dutka版DAGMARを翻訳した八巻俊雄氏の論文を紹介します。
私は名文だと思っているので、少し長いですが引用します。
■八巻俊雄,1990,広告科学21号,13-22
DAGMARの考え方は、大きく分けて2つある。1つは広告の仕事(Task)をコミュニケーションに限定したこと。もう1つは広告効果は事前に目標を与えることで測定できる。
……略……
この2つのうち、広告の仕事をコミュニケーションに限定したことがDAGMARの最大の特色である。広告の仕事は企業の中でマーケティングの一貫として行われており、その仕事はマーケティングの仕事と不可分と考えられてきた。これでは広告の目標をマーケティング目標から切り離せない。したがって、広告の仕事を独自の観点から管理できない。これでは広告の仕事の生産性をあげる手立てでもない。広告の仕事を担当するのは企業の中の広告部のみならず広告会社、広告媒体の協力が必要である。企業の中でも広告周辺の人たちは上記マーケティングの担当者ばかりか、経理部、購買部、総務部など関係者がいる。この広告部を取り巻く周辺の人々が広告がどのような仕事をし、どのような目標を掲げているかを知ることで協力関係が生まれ、したがってよい仕事ができるという考えである
(八巻、同著、P13)
DAGMARの真意
広告管理のためにDAGMARがある訳じゃない。
説明責任と周囲との協働のためにDAGMARがあり、結果として広告目標によるマネジメントを実現させていく。
八巻俊雄氏の論文から読み取れるところでは、組織協働に注目がある。いろんな部門との峻別のため、広告部門が何を扱うのかという点で、売上などの事業目標から切り離したという点で、重複を避け機能性に特化するという見解に納得がいく。
組織協働という観点で見た方が、広告実務者としてはスッキリする。
今日的にも、組織におけるマネジメントが一般化した世の中では、目標という概念をうまくつかっていくことで、組織は協働できるようになるのは明白だ。
それは、マネジメントが「管理」という訳語から、カタカナで「マネジメント」と呼ばれるようになった今だから、しっくりくるのかもしれない。広告物という物への管理から、広告をめぐり人とどう相対するのかという段階に移行したともいえる。
まぁ、どうしても「管理」といいたくなるのは、経営者として機能部門を管理監督する責任があるから、その点では管理でも構わないかもしれない。