北村日出夫 1968年「広告の効果と影響」新聞学評論、15-24ページ
北村日出夫氏による論文を中心に解説していきます。
論文は、ネットで調べれば読めるので、ぜひ読んでみて下さい。
まずは、論文が発表された1960年代に思いを馳せ、論文にある定義のみ紹介します。
1960年代の日本の広告をめぐる、社会問題への注目と科学の起立
日本において広告研究が1つの科学部門として認められたのを、
日本広告学会が成立して1969年、
学会誌「広告科学」第一巻の発行の1975年
と考えると、それ以前の話となります。
広告そのものへの関心は、その始まりを明治~大正とする考え【広告の誕生】もありますし、それらしい形式はもっと昔からあったともいえます。しかし、研究に値する1つの科学分野としてフォーカスされたのは、1968年に新聞学会(現、マス・コミュニケーション学会)でわざわざ特集が組まれ、各界により論文が掲載されたことにより科学界に与えた影響は大きかったと推測することができます。
では、当時の日本において広告はどのような状況だったのでしょう。
一言でいうと、「公害広告、広告公害」なんて言われていたようです。
昔、JAROで”うそ、おおげさ、まぎらわしい”なんて啓蒙キャンペーンがあったのですが、日本の広告全体がそういう状態だったようです。そういった社会問題としてフォーカスされた広告が、科学の場での議論を起こし広告が1つの科学として起立、さらに行政は社会問題を解消するため、景表法以降の諸法・規制により広告を制限したと考えることができます。
もちろん、このネガティブな側面だけが広告が科学として設立した背景ではありません。もっと良くしていこう、発展していこう、先行する欧米に負けない日本の広告を創っていこうというポジティブな想いの方が大きかったと想いを馳せることができます。
広告の効果と影響
こうした1960年にあった社会問題・公害としての広告と、もっとよくしていこうという広告への想い。これは、結果として現象を効果と影響に峻別したに留まります。
北村日出夫による定義は、一歩進め認識者がだれかという点を加えています。
広告の効果と影響の概念規定について、いちおうの結論を出しておこう。広告が個人なり集団なり社会によって受けとられるとき、さまざまな変化が生じる。このなかで、広告の送り手がもつ意図ないし目標(ゴール)という観点から、その変化に光をあたるとき、これを広告の効果の領域と考える。したがって、広告の効果概念を操作し、判断する主体は、広告の送り手側にある。広告の目標の志向性から判断されるときに、効果という概念が生じる。そして、このような効果をのぞいた、広告によるさまざまな変化の部分を広告の影響と考える。このばあい、その認識主体は受け手としての個人・集団・社会である。(北村日出夫、1968、P.22)
つまり、
広告によってもたらされる変化は”本当は”様々である。
さまざまな影響のうち、広告の送り手が意図したものを「効果」という。
それ以外で、広告の受け手が認識した変化を「影響」という。
1960年代という時代で「公害」といわれたものは、受け手が認識した広告の変化のうち良くないと受け手たちが価値づけしたものである。
このあたりは、今度にしましょう。
広告の送り手が意図する効果とは、広告をもっと良くしていこう、こうしていこうと工夫し成長させていこうとするポジティブな熱量に突き動かされる定義。
対して、本来多様な広告が世に放たれた結果、受け手がどのように定義するかは社会に委ねられる。それが問題なのか、好意的なのかはさておき。
現在の広告効果論で扱われる「効果」は、どっちかというと影響の側面が強く出ているかと感じています。中には、広告の送り手が意図した効果を証明しようとするものもありますが、”こんな変化があったぞ”とするものと言えばいいでしょうか。
そういう意味では、広告実務者が求める効果の問題と、広告研究で追求される効果の問題とでは、射程の広さ・関心の重みづけが違いますね。