広告するときの裏技

馬場マコト「戦争と広告」

広告実務者の裏技を紹介するブログ。

広告の定義で、ちょいと検索すると
マーケティングや経営戦略の一環として紹介されていたりします。最近だと、行政やNPO、宗教、医療、弁護士といった領域でも活用されています。
まぁ、大競争時代という感じでしょうか。

ただ、こういった“どんな目的の誰が使うか”という定義の中で、軍事利用される、ということはあまりハッキリ書かれないようです。
まぁ、性風俗に関する広告も殆ど議論されませんが、経済活動の一環に含みましょう。

特に政治や軍事で広告利用は、広告とは区別され「プロパガンダ」と区別して言われたりします。やってることは一緒ですし、エドワード・バーネイズ氏による広告読本「プロパガンダ」という本がありますから、私からしたら包丁を料理に使うのか人を傷つけるのに使うのか、の違いだ。

今回はちょっと重いネタではありますが、
馬場マコト氏の『戦争と広告』から、

「いつの時代も、どの時代にあっても、時代と並走することでしか、生き残る手段がないのが広告だからだ」
(馬場マコト『戦争と広告』p.13)

を紹介&解説します。

日本は昔戦争をしていた。
戦争にまつわる、いろいろな話はここでは取り扱いませんが、戦争をしていた、ということで話をすすめていきましょう。

その時代、産業促進のために行われていた広告は、国の指示により、表現に規制を受けていくことになるといいます。

同時に、国策としての戦争について、
それを推進するキャンペーンが打ち出されます。

こういった時代の流れにいて
広告制作者たちは、どのように生きていたのか。

一方で、実務者として
オーダーをかけていく立場に
思いを巡らせることもできます。

かつて、マスメディアが登場し始めた頃
その効果を「弾丸」のように人のハートを狙い打ち、
「皮下注射」のように浸透作用させるもの
として捉えられていました。

広告が手法として確立し、
百花繚乱のように出現することで、
人はメディアや広告に対して抗体のような振る舞い方を身につけるようになります。
また、人の反応もそんなに単純じゃない
という考え方も現れ、効果は「限定的」と考えられるようになりました。

しかし、戦争という過去を振り返ったとき、
改めてその強力な効果を感じてしまいます。

その時、実務者としては
やっぱり「時代と共に生きる」のか
それとも「流れに抗おうとする」のか。
あるいは「モノとして、信念なく使われる」のか。
どっちでしょうね。

 

広告の裏技として、軍事利用されていたということに触れました。
馬場マコト氏の「戦争と広告」を紹介。

是非、読んで頂ければと思います。

広告ということを生業にしたとき、
時代の写し絵としてふるまうこと
そうして人びとに方向性を与えていくこと。

技術と科学の発展により、意図しない方向へ行ってしまうことがある。
広告という方法が、人を殺すし、扇動することもある。

ゆめゆめ、忘れたくないことです。

少なくとも、広告に対して表面的に語られる華やかさの内実として、心のどこかで持っておきたいですね。

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