広告実務者の裏技を紹介するブログ。
何事も始まりがありますが、
突然パッと登場するというよりも
なんとなく徐々に登場していって、
あるとき誰かが公けに定義して
初めて世に認識される方が多いかな…と思います。
広告という物事にも、
やっぱり「始まり」が気になっちゃいます。
実務的には、定義することで始まりますが、
ついつい広告物がいつからあるか、どういうものか……という
モノの始まりを気にしてしまいます。
今回は広告の定義に関連して
北田暁大の著書『広告の誕生』のベースになった論文から
どのようにして日本に広告が誕生したか、について紹介&雑に解説します。
広告の誕生、或いは広告の始まりへの関心は
・日本で最初の広告はどんな物か?
・看板広告っていつからあるの?
・広告の原点ってなに?
といった、意見が分かれる“モノ”がどうのという議論を回避して、
世の中で“広告”というコトが認識された瞬間を「誕生」と論じています。
「<広告>を<広告>として自律させて語る言説〔コト的次元〕が、同時にモノとしての装飾を増長させる<広告>への不安を吐露するものであった(北田,p79)」
北田暁大(1998)「<広告>の誕生 ──『近代』と『前近代』の相克と共犯をめぐって」 『思想』(889)岩波書店 pp.61-85
時は明治から大正。
民主主義と共に「新聞」が日本に登場し始めた。
その仕掛け人の一人に、かの福沢諭吉がいる。
彼は、彼の描く日本のため、新聞社を立ち上げ新聞を発行していた。
しかし、どうも事業的には難儀しているようで、同時に広告という仕組みを取り込んで、新聞を発行する原資として収入を得ようと考えた。
そこで発表されたのが「商人に告るの文」。
商売成功には、従来の引札ではなく新聞での広告が効果絶大と謳い上げました。
一方で、岸田吟香という人物がおり、
彼は新聞紙面で薬の広告を展開していた。当時のところでは「売薬広告」と言われ、中には薬としての効果の程があやしいものも、効果絶大として謳われていた。
知識人としての福沢諭吉と、
なんだか胡散臭い感じの岸田吟香、二人が広告のあり方を巡って衝突した。
福沢は岸田(=売薬広告)の広告のやり方を指して不適切といい始める。
そうなると、世の中の関心として「広告なるもの」が形成されていく。
この、初めての問題広告を巡っての言説が新聞紙上で繰り返されることで、“あるべき広告”、“広告とは”という定義が世の中に広がっていったことで、広告という物事が世の中に誕生した。
という考え方です。
広告実務の裏技として、今回「広告の誕生」を紹介しました。
実務的には、結構大事な観点ですね。
実際の効果や物の存在はさておき、
発言力のある人が“広告とは…”と定義しちゃうと、以後その定義が、組織内で定着してしまう。
会社のトップが
「広告なんざ無駄でしかない」といえば、お通夜ムードになるでしょうし
「事業推進に広告が鍵を担う」といえば、その逆でガンガン行こうぜというムードになる。
世論でどうとでもなっちゃいますので、それをどうコントロールするかが実務者として腕の見せ所じゃないでしょうか。
さて、本の内容はかなりザックリ割愛していますので、ご了承ください。
かなり難解ですが原著を読んでみては如何でしょうか。